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近年、気候変動問題への対応は、単なるCSR活動の一環ではなく、企業の持続的成長のための重要な経営課題として位置づけられるようになってきました。その背景には、気候変動がもたらすリスクと機会が、企業の財務や事業に大きな影響を及ぼす可能性が高まっていることがあります。
しかし、気候変動の影響は長期的かつ不確実性が高いため、企業が適切に対応していくためには、将来起こりうる気候変動の複数のシナリオを想定し、それぞれのシナリオ下での自社への影響を分析する「シナリオ分析」が重要なアプローチの一つとされています。
本ガイドは、環境省の委託事業で作成された、企業がTCFD提言に基づくシナリオ分析を実践していく際のガイドラインです。第1章では、TCFDが規定するシナリオ分析を含む情報開示の各項目について、その意義や具体的な実践のポイントが解説されています。また、気候変動に加えて、自然関連のリスク・機会への対応に向けたTNFD提言の概要についても触れられており、企業の包括的なサステナビリティ経営を支援する導入となっています。それぞれの詳細は2章以降で記載されています。
なお、TCFD自体は2023年10月に解散を発表しており、その後はIFRS財団(国際会計基準:International Financial Reporting Standards)が傘下に設立したISSB(国際サステナビリティ基準審議会 :International Sustainability Standards Board)の下で、非財務情報の開示基準の策定を進めることを発表しています。
この本編第一章は、ISSB基準のベースとなるTCFDの考え方や、求められていた背景の理解を促進するために書かれたものです。
近年、気候変動が企業経営に及ぼす影響の大きさが明らかになってきています。
例えば、世界経済フォーラムの「グローバルリスクレポート2024」では、今後10年間で世界に最も大きな影響を与えるリスクとして、上位5つのうち4つが気候変動や自然破壊に関連するリスクとなっています。つまり、もはや気候変動は、環境部門だけでなく、経営全体で真剣に向き合わなければならない重大な経営課題となっているのです。
また、世界の脱炭素化の潮流は加速しており、各国で炭素税など気候変動対策の規制が強化されています。日本でも2028年度から炭素に対する賦課金の導入が示されるなど、脱炭素対応への圧力は高まっています。こうした規制強化は、企業にとって大きなリスクとなる一方で、低炭素技術や製品の需要増といった新たなビジネス機会にもつながります。
さらに、ESG投資の拡大に伴い、投資家の企業評価において、気候変動を含むサステナビリティへの対応が重要な判断材料となっています。特に気候変動情報の開示や脱炭素目標・戦略への要請は強く、開示が不十分な企業は資金調達等で不利になるリスクがあります。
このように、気候変動は規制・市場・評判等、様々な側面から企業経営に大きな影響を与えうる重要課題となっており、全社を挙げた戦略的な対応が求められているのです。その対応の出発点となるのが、次に説明するTCFD提言です。
気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)は、G20の要請を受けて設立された組織で、2017年に最終報告書を公表し、企業等に対して、ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標の4つの観点から、気候関連のリスクと機会に関する情報開示を推奨しました。
TCFDの特徴は、単に温室効果ガス排出量等の環境データの開示を求めるだけでなく、気候変動シナリオ(1.5℃、2℃シナリオ等)を用いて自社の気候関連リスク・機会を評価し、経営戦略への反映状況等も開示することを推奨している点です。これにより、企業経営における気候変動の位置づけが明確になり、投資家等のステークホルダーが企業の気候変動対応の適切性を判断しやすくなります。
TCFDへの賛同は世界で4,000社以上、日本でも1,400社以上に上り、実際の開示も広がりを見せています。日本では2022年のコーポレートガバナンス・コード改訂により、プライム市場上場企業に対し、TCFDに基づく開示の充実が求められるようになりました。金融庁の調査でも、プライム市場の構成銘柄の約7割が、TCFD提言に沿った開示を何らかの形で行っています。
ただし、シナリオ分析の開示など、TCFDのより高度な要請に関しては、まだ多くの企業で対応が難しい状況にあります。そこで本ガイドでは、次に企業がシナリオ分析に取り組む意義と手順について解説していきます。
TCFDが特にシナリオ分析を重視しているのは、気候変動の影響が長期的かつ不確実性が高いためです。気候変動は複雑なメカニズムを持ち、将来の温室効果ガス排出量などによって、その影響の現れ方は大きく変わります。
もし将来の気候変動を1つのシナリオだけで予測し、それに基づいて経営戦略を立てた場合、実際にはそのシナリオ通りにならず、戦略が的外れになってしまうリスクがあります。そこで重要になるのが、複数の気候変動シナリオを想定し、それぞれの世界観の中で自社がどのような影響を受け、どう対応すべきかを分析・検討するシナリオ分析なのです。
代表的なシナリオとしては、気温上昇を産業革命前から2℃または1.5℃に抑えるシナリオと、対策が不十分で4℃近く上昇するシナリオなどがあります。前者は脱炭素の規制強化等に伴う移行リスクが、後者は異常気象の激甚化などの物理的リスクが大きくなると想定されます。
このように異なる複数の将来像を描き、そのどの状況においても企業が戦略的に対応できる準備を進めることで、気候変動の不確実性に負けない経営の”レジリエンス(強靭性)”を高めることができるのです。
気候変動だけでなく、自然資本の毀損や生物多様性の損失といった、より広範な自然関連リスクが、企業経営に大きな影響を与えうることも明らかになってきています。
自然関連リスクは、直接的または間接的に、ほぼ全ての業種・企業のバリューチェーンと関わっています。例えば、食品セクターにおける主要農作物の収量減少リスク、化学や建設セクターにおける水不足リスクなどがあります。また、自然関連の規制強化によるオペレーションコストの増加なども考えられます。
例えば、農業や食品セクターでは、気候変動による主要農作物の収量減少や品質低下のリスクがあります。また、製造業では、工場立地域における水不足や洪水などの自然災害リスクが事業運営に支障をきたす恐れがあります。さらに、自然関連の規制強化によって、事業オペレーションコストが増加することも予想されます。
一方で、自然を守り、持続可能な形で利用することは、企業にとって新しいビジネス機会にもなり得ます。環境配慮型の製品・サービスに対する需要の高まりや、循環型資源の活用による効率化、生態系サービスを取り入れたソリューション開発など、自然関連リスクへの先進的な取り組みは、企業の競争力強化につながるでしょう。
こうした自然関連リスクへの対応を後押しするため、2021年6月、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD: Task Force on Nature-related Financial Disclosures)が発足しました。TNFDは、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)と同様の枠組みのもと、企業に自然関連リスクの評価と開示を促すことを目的としています。
TNFDは、TCFDの基本的な構造を踏襲しつつ、自然に特化した形で、リスクと機会の開示を求めています。TNFDの枠組みでは、自然資本への依存とインパクトを適切に評価し、それに基づいて自然関連のリスクと機会を特定・開示することが要求されます。
2023年9月に公表されたTNFDの最終提言では、ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標の4つの柱に沿って、合計14の開示推奨項目が示されました。TCFDの11項目に加えて、「ステークホルダーエンゲージメント」「自然関連リスクのある場所の特定」「バリューチェーン全体での対応」の3項目が追加されています。
TNFDはまだ提言が公表されたばかりであり、各国の規制や企業の実務への組み込みはこれからです。しかし、気候変動と自然損失の問題が表裏一体であることを考えれば、TCFDへの対応で培った経験を生かしつつ、TNFDへの対応を進めていくことが、持続可能な企業経営に欠かせないでしょう。
企業は、自社のバリューチェーンにおける自然への依存とインパクトを把握し、シナリオ分析等を活用しながら自然関連リスクを評価し、その対応策を経営戦略に統合していくことが求められます。そのためにも、TNFDの提言を参考にしつつ、自然関連のリスクと機会に関する情報開示を充実させていくことが重要です。
自然関連リスクへの対応は、企業の社会的責任であると同時に、長期的な企業価値の向上に資するものです。先進的な企業は、TNFDを追い風に、自然との共生を前提とした持続可能なビジネスモデルへの転換を加速させていくことが期待されます。
以上が「サステナビリティ(気候・自然関連)情報開⽰を活⽤した経営戦略⽴案のススメ」の第1章の解説です。元資料にはより詳細な解説が載っていますので、興味がある方はチェックしてみてください。
元資料PDF:https://www.env.go.jp/earth/ondanka/supply_chain/gvc/files/guide/TCFD_senryaku_guide.pdf
次回は第2章の「TCFDシナリオ分析 実践のポイント」について解説します。