前回は「サステナビリティ(気候・自然関連)情報開⽰を活⽤した経営戦略⽴案のススメ」の第1章について、こちらの記事で紹介しました。
2章では、TCFDシナリオ分析を実践する上でのポイントを段階的に解説します。
元資料はこちら
シナリオ分析は、大きく6つのステップ(ガバナンス整備、リスク重要度評価、シナリオ群定義、事業インパクト評価、対応策の定義、文書化と情報開示)を経て進められます。各ステップにおいて、経営層・事業部門の巻き込み、複数シナリオの想定、業界や自社の状況に即した取捨選択が肝要となります。
目次
シナリオ分析の6つのステップは、以下の通りです。
これらのステップは、単線的・一方通行ではなく、双方向的・反復的に進めていくことが重要です。例えば、事業インパクト評価で新たなリスク・機会が見つかれば、シナリオ群の再定義が必要になるかもしれません。あるいは移行計画の策定を通じて、追加の分析の必要性が浮き彫りになるかもしれません。こうした反復的なアプローチを通じて、徐々に気候変動を経営に織り込む力を高めていくことが肝要だと言えましょう。
各ステップの詳細は以下の通りです。
シナリオ分析の大前提として、経営トップの問題意識と強いコミットメントが不可欠です。環境担当役員などが気候変動の重要性を説明し、トップの理解を得るとともに、取締役会での議論を活性化することが求められます。
同時に、環境部門だけでなく、経営企画、財務、事業部門など全社横断的なタスクフォースを立ち上げ、組織をあげた検討体制を整備します。
シナリオ分析の目的や対象範囲(事業セグメント、バリューチェーンの範囲、分析の時間軸など)も、経営層と緊密に擦り合わせて設定することが重要です。
先進企業では、サステナビリティ委員会などの経営直下の会議体を活用したり、外部有識者を交えたアドバイザリーボードを設置したりすることで、客観的な視点も取り込みつつ、全社的な巻き込みを図っている事例が見られます。
次に、自社にとって重要な気候関連のリスク・機会を特定し、優先順位付けを行います。まずは、TCFD提言などを参考に、政策・法規制、技術、市場、評判など、全社共通で考えられる項目を幅広く列挙します。その上で、業界特有の項目、自社のビジネスモデルや競争優位性に即した固有の項目をより精査し、重要度の高いものに絞り込んでいきます。
リスク・機会の重要度は、想定される事業インパクトの大きさで判断するのが基本ですが、発生可能性の高さ、地理的な影響範囲、時間軸の近さなども考慮して総合的に評価します。海外の同業他社によるCDP開示なども参考になります。
この際、環境部門だけでなく、事業部門の視点を積極的に取り込むことが重要です。部門横断的なワークショップを開催し、現場の生の声を引き出すのも有効です。評価のプロセスを通じて、気候変動を「自分事化」する意識を醸成することが何より大切だと言えましょう。
続いて、自社に関連する移行リスク・物理的リスクを織り込んだ「シナリオ群」を設定します。パリ協定の目標に沿った「1.5℃シナリオ」「2℃シナリオ」など、野心的な脱炭素社会を前提としたシナリオは必須です(本編p.2-34の図を挿入)。他方、移行が順調に進まない場合の「4℃シナリオ」なども、ダウンサイドリスクを見極めるために検討が必要です。
IEAの「World Energy Outlook」やIPCCの「代表的濃度経路(RCP)」シナリオなど、政府機関の確立したシナリオを参照しつつ、自社に適した前提条件を選択するのがポイントです。場合によっては独自のシナリオを作成することも検討すべきでしょう。
各シナリオにおける政策動向、技術の進展、市場の需給、金融環境、消費者行動など、ありとあらゆるリスク要因について情報を収集し、定量的な「パラメータ」を押さえておく必要があります。その上で、ステークホルダーの反応もイメージしながら、気候変動が自社を取り巻く事業環境にどのような構造変化をもたらすかについて、経営者としての「物語(ナラティブ)」をつくり上げることが求められます。
いよいよシナリオ分析の核心部分です。設定したシナリオ群について、自社の財務的なインパクトをできるかぎり定量的に見積もります。
まず、シナリオごとの世界観に基づき、売上高、営業利益、資産価値など、気候変動が影響を及ぼしうる財務項目を特定します。例えば炭素税の引き上げは、化石燃料の価格を押し上げ、原材料コストを増加させるでしょう。再エネ普及の加速は、特定の製品需要を減退させる半面、新たな市場を生み出すかもしれません。
次に、それぞれの影響について、因果関係に基づく計算式を設計し、パラメータを当てはめて定量化します。自社の原価構成や排出量など、社内の実績データを用いるのはもちろんのこと、業界団体などとも連携しながら、現実的な前提を置くことが重要です。
影響項目別の計算結果を積み上げながら、最終的に売上・利益・キャッシュフローへの影響を総合的に見通します。複数シナリオの比較を通じて、気候変動が経営の前提をどう揺るがしうるのか、ダイナミックに描き切ることが求められます。
このプロセスでは、財務部門の知見を最大限に活かすことが不可欠です。財務モデリングの精緻さを追求するのではなく、意思決定に必要な情報をいかに引き出すかという観点が重要だと言えるでしょう。
こうして導かれた気候変動の影響見通しを踏まえ、その負の影響を最小化し、新たな成長機会を取り込むための具体策を検討していきます。
まずは事業インパクトの大きなリスク・機会について、現状の対応状況を改めて整理します。その上で、①事業ポートフォリオの入替、②設備投資・研究開発、③サプライチェーンの強化など、リスク低減・機会獲得のためのオプションを幅広く議論します。
これらの選択肢について、自社の経営資源や競争優位性を勘案しつつ、他社動向なども参考にしながら、優先順位をつけて focusすべき打ち手を絞り込んでいくことになります。
このプロセスを通じて、長期ビジョンと整合的な具体的行動計画、いわゆる「移行計画(トランジション・プラン)」にまとめ上げるのが理想的です。排出削減目標、設備投資方針、新規事業の青写真など、気候変動を織り込んだ経営の羅針盤として活用できるものとなるはずです。
ただし、絵に描いた餅に終わらせないためには、経営トップのガバナンスの下、全社横断的な実行体制を整備することが不可欠です。担当役員の明確な責任分担、社内外のステークホルダーの積極的な関与など、実効性を高める工夫が求められます。
最後に、これまでのシナリオ分析の成果を、ステークホルダー向けに体系的に情報開示します。統合報告書やサステナビリティレポートなどを通じて、分析のプロセスや前提条件、リスク・機会の考察、財務的影響の試算、具体的な対応策などを、可能な限り具体的に記述します。
TCFDの11の開示推奨項目との対応関係を示しつつ、気候変動に真摯に向き合う経営姿勢が伝わるよう、ビジュアルも活用しながら平易に訴求することが重要です。
特に投資家に対しては、シナリオ分析を通じて見出された経営課題について、その位置づけと対応の方向性を説得的に語る必要があります。将来の企業価値向上に向けた道筋を示すことで、建設的な対話の材料を提供できるはずです。
本章のまとめとして強調したいのは、シナリオ分析は単発の分析作業ではなく、経営そのものに統合されるべき一連の思考プロセスだということです。
まずは経営トップの強いコミットメントの下、本業を支える事業部門・管理部門の巻き込みを図りながら、気候変動を全社的な経営課題として位置づけることが出発点となります。その上で、中長期の事業計画・投資計画に気候関連のリスク・機会の視点を織り込み、機動的な PDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルを回していくことが求められます。リスクマネジメントの高度化、情報開示の拡充、社員教育の実施など、多面的な取り組みを積み重ねながら、気候変動の主流化を図っていく必要があります。
本実践ガイドでは、TCFDシナリオ分析の実践における要点を段階的に解説してきました。シナリオ分析は、気候変動という不確実性の高い経営環境に対し、複数の将来像を想定しながら、自社の戦略やレジリエンスを問い直すためのアプローチです。リスクを最小化し、機会を最大化するための選択肢を導出し、長期的な企業価値向上につなげるツールとして、大いに活用が期待されます。
ただし、シナリオ分析の実践は一朝一夕には難しく、試行錯誤の連続となるでしょう。特に日本企業の多くは、長期の構造変化を見据えた経営戦略の立案や、不確実性に対峙するシナリオ思考には不慣れだと言えます。まずは経営トップのコミットメントを得て、環境部門だけでなく事業部門や経営企画部門を巻き込んだ全社的な取り組みとして、段階的にケイパビリティを高めていくことが肝要です。